論理的に文章を書くためのノートの使い方。SNSでカオスとバカにされないために
現代は「書く技術」が一層求められる時代になりました。
一昔前は、手紙など手書きで特定の人に向けて書いていましたが、現代ではブログやフェイスブック、ツイッターなど不特定多数の人にデジタルデータとして書く時代になったのです。
たまにフェイスブックで、内輪の人にしかわからない文章を書いている人がいますが、学生であれば就職活動の時に、人事の人にそのフェイスブックの内容を見られるかもしれません。フェイスブックの内容があまりにお粗末なら、選考にも影響するかもしれません。
デジタル化された文字は、世界中の不特定多数の人に見られるかもしれないことを意識して書く必要があります。そこで必要となるのが、論理の力です。誰にでも理解できる文章を書くには、論理の力が必要なのです。
“話すように書けばいい“は間違い
よく学校の先生が、「作文のコツは話すように書きなさい。そうすれば自然と書けるから」と言いますが、本当でしょうか?
確かに肩の力を抜いて書くことは重要ですが、かといって完全に話し言葉で書いては、言いたいことは相手に伝わりません。これは何故かと言うと、会話では相手の表情やジェスチャーで意味をくみ取ることができますが、文章ではそれができないからです。会話なら、相手の話が分かりにくければ、聞き直して説明してもらう事も出来ますし、雰囲気で「あれでしょ」と伝わることもありますが、文章ではそうは行かないのです。
例えば講演のトークを一言一句文字にしたら、重複表現の多い、感情的でわかりにくい文章になるでしょう。それは講演者が聴衆の表情などを見ながら話しているからで、文章を書く時には一から十まで論理的でなければならないのです。
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感情語と論理語
言葉には感情語と論理語があります。感情語とは、犬や猫が餌をねだったり、威嚇したりする時に発するワンとかニャーという言葉です。これは学習によって手に入れたものではなく、生まれつき持っているものです。
そして、このような感情語には他者意識がありません。他者意識とは、自分の発する言葉を誰かに伝わるように言い換えるという事です。赤ん坊も他者意識がないため、ただ泣きわめくだけで、親がおむつを替えてくれたり、ミルクを与えてくれることを望みます。
実は、大人でも感情語ばかり使っている人が多く、そのような人は赤ん坊と同じレベルでしか話せていないことになります。「うざい」とか「むかつく」など、なぜそう思うのかと聞いても、「うざいから」「むかつくからむかつくんだよ!」という返答しか返ってこない場合は、言っている本人は言葉で感情を整理することができないので、最終的にはキレたりします。このようなことにならないために、論理語を覚える必要があるのです。
論理語とは、人間が世界を整理するために作った言葉です。例えば、目をつぶって一切言葉を使わずに何かを考えようとしても、何も考えることができません。頭の中がぼんやりして、何も考えられない状態をカオスと言います。何かを考えるには言葉が必要であり、そのような言葉を持たなければ、世界を認識できないままなのです。
極論を言えば、犬や猫は論理語を持たないので死にません。「死ぬ」という言葉を知らないので、例えその犬や猫が死んだとしても、本人は自分が死んだとは認識できないのです。人間は死を認識できるからこそ、生きる意味について考えることができるのです。論理語の無いカオスの世界はある意味恐ろしいのです。
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論理力を鍛えるには
論理力を鍛えるには、ノートを活用すると良いです。ノートの左ページと右ページをしっかりと分け、左ページには読んだ文章の要約を書き、自分の言葉ではなく作者の言葉で書くことが重要です。そして、右ページには、読んだ感想を自分の言葉で書くのです。
要約には、筆者の立てた筋道を逐一追う必要があり、これだけでも論理力がつくが、要約する時に要点を再構成するので、さらに論理力が上がるのです。
右ページの役割は、自分でものを考えられるようになるためです。ただ要約するだけでは筆者の主張を超えることはできませんが、稚拙でもいいから自分の考えを加えることで、新たな価値が生まれるのです。最初は何も書くことが思い浮かばないかもしれませんが、左ページの要約が貯まっていけば、自然と右ページもスラスラ書けるようになります。論理的に自分の考えを言える人間になりましょう。