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雑学

毎日がつまらない30代40代主婦へ。寂しくて鬱な時に効く天才の名言

2022/06/22

フョードル・ドストエフスキー(ロシアの小説家)

人間は幸福であることを知らないから不幸なのである

毎日が平凡で退屈だと思っている人は多いはずです。しかし平穏な毎日が幸せだと感じられなければ、不幸しか感じなくなってしまうのです。

ドストエフスキーは28歳のとき、国の政治を批判したことで、無実の罪で逮捕されてしまいます。一度は死刑宣告まで受けてしまうのですが、最終的には四年間のシベリア流刑で済みました。彼はその辛い経験を経て、普通に生きられることがいかに大事で幸せであるかを噛み締めたのです。そしてこの名言が生まれました。

 

死刑を宣告されたドストエフスキーは、銃殺されるためにすぐに引きずり出されました。しかし死が目の前に迫ったその時、皇帝からの使いが走り込んできて、皇帝の慈悲で死刑を延期になったのです。これは皇帝の寛大さを示すためのパフォーマンスでした。その後流刑地で厳しい生活を送ったドストエフスキーは、死の直前の恐怖を味わったり、シベリアでの過酷な囚人生活をくぐり抜けることで、日常の素晴らしさに気づきます。そしてその後、歴史に残る名作を次々と生み出しました。

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ディオゲネス(ギリシャの哲学者)

この世で最も美しいものは?それは言論の自由だ

自由に言葉を喋れて、自由に自分の意思を発表できる。それってすごいことなんだって気づいてる?そのために多くの人が、たくさんの苦労や努力を重ねてきたんだよ

ある日ディオゲネスのもとに、アレクサンダー大王が訪れました。その時ディオゲネスは樽の中に入って日向ぼっこをしていたのですが、なんと大王の前でもそのままの格好で学問の話を続けました。ディオゲネスの学問の深さに感動した大王は、「欲しいものを与えるから言ってみよ」と言いましたが、ディオゲネスは「では王様、少し端にずれてください。日が当たらないので」と言いました。権力や身分に惑わされることなく、人間としての真の自由さを追求した人でした。

 

ギリシャの大学者ディオゲネスは、「人間の欲が人間をダメにする。その欲望から逃れた時に、人は真に自由になれる」と考えていました。そのためディオゲネスは家を売り払い、樽を持ち歩いて住んでいました。ある日ディオゲネスは、子供が手ですくって水を飲んでいるのを見て、まだ余計なものを持っていたことに気づいて、自分の茶碗を捨ててしまいます。物欲から完全に解放されて、真の生き方を求める姿は、物欲に囚われている現代人に大きな教訓を与えてくれます。

 

エイブラハム・リンカーン(アメリカの政治家)

この世に卑しい職業などない。卑しい人間があるだけだ

この世の中の仕事には、偉い仕事や偉くない仕事なんていう区別はないんだよ。仕事に打ち込む人の気持ちの差があるだけなんだ。

奴隷解放宣言を行ったリンカーンは、第16代のアメリカ大統領です。リンカーンは若い頃、ミシシッピの小さな町で小さな店の番頭をしていました。その時店に来たお客に、間違ってお釣りを6セント半だけ少なく渡してしまいました。リンカーンはそのお釣りを届けるために、夜の原野を十キロ歩いて届けに行ったのです。どんな仕事でも誠意を尽くして向き合う、リンカーンの誠実さが表れています。

 

リンカーンは様々な職業を経験した人でした。雑貨屋の経営から弁護士、地方の議員まで経験しましたが、そこに共通していたのはエネルギッシュで誠意のある仕事ぶりでした。リンカーンはあまり恵まれていない家庭に生まれたので、教育も当時の最低限のものしか受けられませんでしたが、独学で学問を続けた努力の人でした。その他にも、何度も選挙に落選するなど平坦な人生ではありませんでしたが、決して諦めない情熱と、人に対する誠意が、奴隷制度廃止という歴史的偉業に繋がるのです。ちなみにリンカーンの母親であるナンシーの出身一族のハンクス家の子孫が、俳優のトム・ハンクスです。

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ジャン・ジャック・ルソー(フランスの啓蒙思想家・小説家)

最も教育されたものとは、人生の良いことにも悪いことにも、最もよく耐えられるものである

本当に頭がいい人ってどんな人でしょうか?テストでいい点をとる人でしょうか?それは違います。つまらないことがあってもそれを乗り越えて、いいことがあっても調子に乗らない人のことなのです。

ルソーは18世紀の偉大な哲学者であり教育者でありましたが、自分の本が売れる前はとても貧しく、5人の子供を孤児院に入れる以外ありませんでした。そうした苦しい時期を乗り越えて、時代を代表する知識人として成功していきましたが、成功した後でもルソーは偉そうにすることなく、子供たちの視点に立った教育の本を出版し続けました。どんな時でも諦めずに、いい時でも謙虚であるルソーの姿勢から生まれた名言です。

 

ルソーが孤児院に子供を入れたのは、革命前の当時のフランスの経済状況が大変劣悪だったからです。当時はパリだけでも10万人の子供が孤児院に預けられていました。ルソーは売れる本を書くこともできたのですが、自分の学問を汚したくないという思いから、子供達を泣く泣く孤児院に送りました。ルソーは死ぬ直前まで、子供達を孤児院に送ったことを後悔していると手紙に書いています。学問の道を選んだルソーでしたが、同時に子供を強く愛する父親でもあったのです。

 

チャールズ・ダーウィン(イギリスの博物学者)

一時間の浪費をなんとも思わない人は、人生の価値をまだ発見してはいない

普段何気なく時間をダラダラと過ごしてしまう人が多いと思いますが、それは大変もったいないことです。なぜならその時間があれば、本当に生きる楽しさを味わえたかもしれないからです。

ダーウィンは都会に住んでいましたが、様々な人がダーウィンを訪ねてきたり、パーティーに呼んだため、研究の時間を思ったように取れませんでした。そこでダーウィンは都会の家を売り払い、人が来ないような郊外の小さな村に、一軒の小さな家を建てます。そこでダーウィンは世間とほとんど関わりを持たずに、40年間も自分の研究に打ち込んだのです。本当にやりたいことのために時間を使ったダーウィンだからこそ生まれた名言です。

 

ダーウィンが郊外に引っ越しをしたのが30歳の時でした。この引っ越しは研究以外を一切遮断するような 隠居生活と呼ばれるものでした。ダーウィンはそこで、毎日同じ時間同じリズムで研究を続けました。ダーウィンは結婚していましたが、40年間でダーウィンのリズムを狂わせたのは、子供の誕生の時と、自分の本の出版のために外出する時だけでした。家族を愛しつつも、何物にも妥協しないその時間の使い方が、ダーウィンを偉大な学者に育てたのです。

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岡潔(数学者)

広く大きなものには目を向けていきにくい。狭い世界のことには簡単に目が行くのに

自分の周りの小さなことだけを考えるようになったら悲しいですね。人のために勉強をしたり、この世の中で起こっている本当に大切なことに目を向けられる人になりたいものです。

世界的な数学者である岡潔は、子供の頃から数学が大得意でしたが、ある時期遊びに夢中になって、数学で68点しか取れなかったことがあります。得意の数学で良くない点数を取ってしまった岡は大変落ち込みますが、家でお風呂の釜に火を入れている時に、そこにあった炭で地面に数式を書くと、スラスラと解けたのです。気持ちひとつで解けなかった問題でも解けるようになるという体験をした岡は、それから数学に没頭していきます。どんな時でも数学という偉大な世界を忘れない、岡の姿勢から生まれた名言です。

 

岡潔の名前は世界的にも広く知られていました。岡の数学の研究はあまりに多岐にわたっており、その一つ一つが異彩を放っていたため、海外の数学者たちは岡潔のことを、個人名ではなくグループの名前だと思っていたそうです。岡は京都大学でノーベル賞受賞者の湯川秀樹や朝永振一郎などを教えていましたが、その授業は湯川や朝永の専門である物理の授業よりもずっと刺激的だったと言われるほど好評を博しました。また色々な分野でユニークな活動をしていた岡は、日本中から知られる名物先生でもありました。

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