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全能感の成り立ちと成長とは?母親との共生と別れがカギ

全能とは、何でも可能・できるという意味です。フィクションの世界では、スーパーマンや月光仮面、ウルトラマンがいますが、現実世界にも全能的人間はいます。全能感とは何か、全能感には2種類あることや、全能感の成長を見ていきましょう。

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全能的人間とは

その1つが、神業を持つ人たちです。スポーツで言うとイチローなどがそうでしょう。打って良し・守って良し・走って良しのイチローは、日本にとどまらず、メジャーリーグへ渡って大成功しました。

 

もう1つが、王様とか皇帝と呼ばれた人たちです。絶対的権力を盾に、彼らは人を意のままに操ります。周りの従者は、王様や皇帝の一挙手一投足を注視し、その意向に沿おうとします。

 

絶対的権力者は傲慢な考えを持ち、沈む太陽を扇を使って呼び戻そうとしたり、「世の辞書に不可能という文字はない」と言って見せたり、不老不死を求めて世界中で薬を探させたり、ミイラとなって生き返ることを望みました。

 

誰にでもある全能感

実はこのような全能的な気質は、誰にでもあります。例えば車を運転すると性格が荒々しくなる人がいますが、そのような人こそまさに全能的人間となっているのです。前をノロノロ走っている車があればイライラして追い越したり、無理な割込みもするくせに、自分がそうされると、途端に交通ルール違反だと叫ぶのです。車内と言う閉鎖的な空間と、車という鉄の塊を操作している支配感がそうさせるのでしょう。

 

そして子を持つ母親にも、この全能的な気質はあるのです。わが子を支配しようとしている母親は多いものです。母親はその事実を認めたがりませんが、我が子のためと言いつつ、自分の子供をコントロールしようとしているにすぎないのです。

 

わが子への望みが達成されるためには、母親はあらゆる手段を用いますし、その望みが叶えられないと、我が子を叱りつけることになるのです。教育ママなどが良い例でしょう。有名学校へ入学することは、子供のためと言いつつ、母親の望みなのです。

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自力的全能感と他力的全能感

全能感には2種類あります。それは、自力的全能感と他力的全能感です。

 

自力的全能感とは、自分は何でもできるという驕りです。実際にはできないことはあるのですが、それを認めないことで、この全能感が育ちます。これは未熟な人間によく見られる考えです。現実から目をそらして、都合の良い思い込みをしているのです。

 

ただし、現代は「成せば成る」や「不可能を可能にしよう」と声高に叫ばれる時代なので、自分の限界を認めないというのも一理あります。限界に達していることを世間が許してくれないのです。

 

また、他力的全能感とは、相手が何でもしてくれると思う事です。正確には、相手が何でも叶えてくれる存在ではないことを認めない事であり、自力的全能感と他力的全能感も現実を受け入れられないことが原因です。

 

他力的全能感を持つ存在として代表的なのは赤ん坊で、彼らは母親が何から何まで叶えてくれると信じています。一方で母親は自分が赤ん坊に対して何でもしてやれると信じているので、自力的全能感に浸っていると言えます。

 

上記の赤ん坊と母親の関係は、赤ん坊がまだ生まれたての頃の話ですが、ある程度子供が成長すると、母親は子供に何でもできるような人間になって欲しいと願い、一方で子供は母親の願いを受けて、自分で何でもできる人間になろうとします。つまり、母親は他力的全能感に浸り、子供は自力的全能感に浸ると言う、生まれたてのころとは真逆の逆転現象が起きるのです。

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全能感は絶対的なもの

全能感は、一見すると他者との比較の上で成り立つように見えます。他者より優れている部分があるから、全能感に浸れるという理屈です。

 

しかし、人はいくら他人と比べて自分が劣っていても、「この部分は勝っている」など、細かな優れている部分を探そうとするものです。たとえ相手の方が美人でも、足の細さは勝っていると考えるようなものです。

 

結局、全能感は比較の上で成り立っているように見えて、実は比較とは関係ない、絶対的なものなのです。自分という存在は世界に1人だけしかいないのだから、いくら他人と比べて劣っていようとも、自分は自分に他ならない=自分だけの価値があると思えるのです。欠点も含めた自分という存在は、世界に唯一無二なのです。

自力的全能感を育てる教育法

自力的全能感を育てるには、屈服と挫折の違いを知らなければいけません。

 

例えば、親子で野球をするとき、父親が常に全力でピッチングしていては、子供は1球も打てないでしょう。しかし、時々父親が手加減してゆるいボールを投げてあげれば、子供はその球は打つことができ、敗北感に打ちのめされることはないのです。

 

前者が挫折であり、後者が屈服です。時々ゆるいボールを投げてあげて打たせてあげて、子供をすごいぞと認めてあげることで、子供は自力的全能感をはぐくんでいくのです。逆に手加減されず挫折してしまった子供は、2度と野球はやりたくないと言うかもしれません。それは、子供の自力的全能感を阻害してしまうばかりか、野球でプロになるなどの将来の可能性をつぶしてしまう事にもなるのです。

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母親との別れ

思春期になると、子供は他者を意識し、親への依存から脱却しようとします。親から離れることによって、自力的全能感はさらに育っていくのです。子供は自ら進んで対等な親友関係を友達との間に求めます。

 

母親と子供の関係は合体化を求めますが、親友との関係は互いを尊重し、個性を認め合います。さらに母子関係は閉鎖的で他を寄せ付けませんが、親友関係は新しい出会いを求め開放的で、建設的で向上的です。

 

このような親友関係の中で、子供は他人へ期待する他力的全能感を失っていき、自立に向け、自力的全能感を育てていくのです。

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